神様にはお見通し


榎木津ビルヂングの三階、探偵事務所の扉の前で、美由紀は立ち往生していた。
この扉は開けると派手に音が鳴るのだ。
榎木津が留守ならば良い。
だが、そうでなければ大変なことになる。
彼女はどうしても探偵事務所に入らなければならない用事があったが、出来るだけ榎木津の顔は見たくなかった。
何しろ彼は相手の姿を見るだけで、その人物の記憶を読むことが出来るのだ。
今日、美由紀の身にあったことがばれれば、どのように騒がれるか分かったものではない。

 

「あれ、美由紀ちゃん?」
階段を上る気配に気づいた美由紀は、ハッとして振り返る。
天の助けとは、このことかと思った。
探偵という職に就きながら動かない榎木津の代わりに、調査に出た益田が丁度戻ってきたところのようだ。
「こんにちは。あの、今日、探偵さんはご在宅ですか?」
「さあ、中に入って確かめれば?」
「あっ、ちょ、ちょっと待ってください!!」
美由紀を横目で見ながら扉を開けようとした益田に、彼女は慌てて声を出す。

「今日は、探偵さんに会えないんです!でも、昨日、授業に使う参考書を忘れちゃって・・・・」
「はあ・・・・」
「お手数ですけれど、取ってきてくれませんか?」
「いいけど」
頷きながらも、益田は不思議そうな顔で美由紀を見つめる。
彼女の生活している寮が近くにあるため、ほぼ毎日通っているというのに、何故今日は会えないなどと言い出したのか。
だが、可愛い女学生が両手を合わせて頼んでいるのだから、聞かないわけにもいかなかった。

 

 

「ただいま、帰りました」
「お疲れさんですー」
榎木津のお守り役である寅吉の声を聞きながら、益田はぎくりとして立ち竦む。
普段は奥に引っ込んで惰眠をむさぼっている榎木津が、珍しく仕事用の椅子に腰掛けていた。
しかも、彼の手前の机に載っているものが、美由紀の言っていた参考書というやつだろう。
これだと、どうやっても彼の元まで行かなくてはならず、参考書を手に取っても「どこに持っていく」と聞かれるはずだ。
挙動不審な益田とちらりと見やった榎木津は、彼が口を開く前に、大きな声で言った。

「どこで会ったんだ、女学生くんに・・・・・何だ、その扉の向こうか」
「あああ、あの・・・・」
「どうして入ってこないんだ」
彼の瞳には、益田が先ほど目にした美由紀の姿がはっきりと見えているらしい。
意識せずとも、美由紀のことを思いだしてしまったのだから、当然だろうか。
あとは、益田がいくら止めようとも、榎木津の行動を阻止できるはずもなかった。

「女学生くん!!」
「わあ!!!」
良く通る彼の声が外まで聞こえ、美由紀はすぐに逃げだそうとしたのだが少々遅かった。
駆け出す姿勢のまま恐る恐る後ろを振り返ると、扉の隙間から顔を出した榎木津が、じっと彼女の顔を見据えている。
そして、彼の表情は見る見るうちに曇っていった。
「・・・・・手紙はどうした?」
全てを諦めた美由紀は、大きなため息をついて手提げ鞄を指し示す。
「この中です」

 

 

 

学校を出てすぐのところで、見知らぬ学生に手紙を渡されたのはつい先ほどのことだ。
鈍い美由紀でも、はにかんだ彼の笑顔を見ればそれが恋文であることは何となく理解出来た。
それでもまだ、知り合いの誰かに渡して欲しいのかと思ったが、手紙は正真正銘美由紀宛だ。
名前が書いてある。
彼女が受け取ったことに満足したのか、学生は一言二言挨拶をして去っていったのだが、美由紀がまず頭に描いたのは榎木津の顔だった。
彼には隠し事など何一つ出来ない。
そして案の定、彼女は面倒な事態に陥っていたのだ。

 

「僕というものがありながら、何でそんな手紙を後生大事に持ち歩いているんだ!」
「捨てるわけにいかないじゃないですか。それと、「僕というものがありながら」って、なんですか?私、探偵さんの奥さんでも恋人でもないんですけど」
「君はこの事務所のマスコットガールなんだ。他の奴に持っていかれるわけにいかない」
「・・・・はあ」
美由紀は怪訝そうに首を傾げたが、「下僕」と言われる益田や寅吉よりは「マスコットガール」の方が随分とマシだ。
机の上に置かれていた手紙に目をとめると、榎木津はおもむろにそれを破り捨てた。
「ああーー!!!ま、まだ読んでいなかったのに」
「必要ない!」
榎木津は机を強く叩く。
「手紙が欲しいなら、僕が何通でも書くぞ!!10通か!20通か!!100通か!!」
「あ、いえ、別に手紙が欲しいわけじゃあ・・・・」
「僕の字は上手くないからな、今に見ていろ!」

不毛な言い合いを続ける榎木津と美由紀を、茶をすする益田と寅吉がのんびりと眺めている。
「いやぁ、美由紀ちゃんに手を出そうなんて、その学生さんも恐ろしい自殺方法を考えたもんですね」
「本当に。神に逆らう行為ですよ」
榎木津達の会話は、何故か通信教育で絵手紙を習うことに変わっていた。
どのみち、美由紀は手紙をもらったとき「榎木津に会いにくくなる」と思っただけで、嬉しいという感慨はなかったようだから脈はない。
榎木津が恋文を書くとどのような文面になるのか、見たいような見たくないような、微妙な気持ちの二人だった。


あとがき??
お年頃の美由紀ちゃんでした。
え、榎木津さんがお父さんっぽくなってるよ。(笑)
次の話こそはラブラブに・・・・なるかな。ベタベタになります。
そういえば、私、赤ん坊嫌いな榎木津さん書いちゃいましたけど、『百器徒然袋―雨』を見ると大好きみたいですね。(笑)か、可愛すぎる。
あのお話は、美由紀ちゃんを取られてすねていたせいだと思ってくださいな。


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