神様より偉い人 2


授業が終わったあとは、これといって用事がなくても、一度榎木津ビルヂングに立ち寄るのが習慣になってしまった。
何しろ探偵事務所の主は気まぐれで、一つの場所に長居は出来ない性分なのだ。
美由紀が訪ねたときは私室で寝ていたとしても必ず起きてくるのだが、近頃はふらふらと出歩いていることが多い。
前に会ったのは2週間ばかり前のことだろうか。

「あれ?」
建物が見える場所までやってくると、丁度そこから出てきた益田が顔を歪めて駆け出していくのが見えた。
往来を歩いていた美由紀には気づかなかったらしい。
何となしに、今日は事務所に居るのだと思った。
本人に自覚は全くないようだが、彼の存在は何かと周囲の人々を振り回すのだ。

 

 

 

「やあやあ。久しぶりだなー、女学生くん」
「・・・こんにちは」
美由紀が来ることを知っていたのか、戸口で待ち伏せしていた榎木津は彼女を見るなり満面の笑みを浮かべる。
おそらく、寅吉が毎日この時間に美由紀が来ることを彼に知らせたのだろう。
久しぶりにその顔を見られたこともあるが、こうして歓待されれば嫌な気持ちはせず、美由紀も同じように笑顔になった。
「あの、益田さんが大慌てで出ていきましたけど、何かあったんですか?」
「何かどころじゃない!あいつはとんでもないことをしでかしたんだ」
とたんに不機嫌になった榎木津は、すたすたと定位置である自分の席へと戻っていく。
茶を盆に載せてやってきた寅吉は、困ったような表情で美由紀に椅子を勧めた。

寅吉の話によると、騒ぎの発端は榎木津が寝ている間に、益田が来客用のテーブルに載っていた菓子を食べてしまったことにある。
そして、程なく起きてきた榎木津に大目玉を食らった。
どうやらその菓子は彼があとで食べるために大事に取っておいたものだったようだ。
すぐに同じ物を買ってこいと怒鳴られ、益田は慌てて事務所から飛び出していった。
お菓子の一つや二つ、目くじらを立てることではないと美由紀は思うのだが、榎木津にそうした思慮があるはずがない。

 

「どんなお菓子だったんですか、その益田さんが食べてしまった物って」
「これだよ」
寅吉が差し出した菓子の空箱には「仙台銘菓『萩の月』」と明記してある。
菓子を生産する工場に勤める敦子の知り合いが送ってきたもので、度々事務所に顔を出す彼女がお裾分けとして持ってきた物だそうだ。
「仙台のお菓子って・・・・・・ええ!?もしかして、宮城県までこれを買いに??」
「そうだ。今日中に僕の前まで持ってこいと言った。駄目だった場合は解雇だ」
「・・・・益田さん」
「可哀相に」という言葉を呑み込み、美由紀は先程見かけた益田が泣きそうな顔をしていたことに納得してしまった。

「探偵さんは益田さんのことをどう思っているんですか?」
「僕にその気はない」
「いえ、そうじゃなくて・・・」
「下僕に決まっているじゃないか。それ以外にないだろ」
改めて言い直した榎木津は、窓の外に向けていた視線を戻すと、にっこりと美由紀に笑いかける。
それがあまりに屈託のないものだったから、思わず美由紀は頷きそうになってしまった。
榎木津の中では、「神」である彼を頂点に、他の者は「下僕」と「敵」といった分け方しかされていないのだ。
拝み屋である中禅寺は彼にとって「友」と呼べる存在なようだが、彼は例外中の例外だった。

 

「じゃあ、私はどうですか?」
気付いたときには、頭に浮かんだ疑問がそのまま口を衝いて出ていた。
美由紀を見つめる榎木津は、少しも考えることなくそれに答える。
「君は女学生くんだ」
榎木津の笑顔を見ながら何となく脱力した美由紀だったが、それならばどういう答えを期待していたかと言われると、よく分からない。
悩みながらも美由紀がテーブルに置かれた茶に手を伸ばすのと、事務所の扉が開いたのはほぼ同時だった。
客が来たのかと振り返ると、そこには肩で息をする益田が立っている。

「持ってきました!!」
「おお、早かったな。褒めてやるぞ」
榎木津の前までやってきた益田は、本当に『萩の月』を持っていた。
にこにこと笑って受け取る榎木津は彼がどういった経緯でそれを手に入れたかは興味がないらしい。
「せ、仙台に行って来たんですか?」
彼に代わって美由紀が訊ねると、益田は苦笑して頭をかいた。
「まさか。敦子さんのところにいって、まだ食べていなかった分を譲って貰ったんだよ」
「あ、そう、そうですよね」
美由紀のいるソファーの隣りに座ろうとした益田は、いつの間にか傍らにいた榎木津に突き飛ばされ、悲鳴をあげて床に転がった。

「下僕の分際で女学生くんに馴れ馴れしくするな」
呆気に取られる美由紀に、榎木津は『萩の月』の箱を差し出した。
「はい」
「えっ」
美由紀は戸惑いながら榎木津の顔を窺ったが、彼は箱を持ったままじっとしている。
「わ、私に?」
「そう。美味しかったから、君にも食べてもらいたかったんだ」

 

 

榎木津の身近にいて、「下僕」でも「敵」でもなく、彼が珍しく気遣いをみせる相手が美由紀だ。
「なかなか美味しいだろ」
「は、はい・・・・」
確かに美味しいのだが、隣りに座る榎木津に間近で見つめられたら味などほとんど分からない。
楽しげに美由紀に話しかける榎木津を眺めながら、益田と寅吉はぼそぼそと囁きあう。
「美由紀ちゃんて、凄い人かも・・・・」
「神」を手なずける人間がいるなど、美由紀が登場するまで、想像もしていなかった二人だった。


あとがき??
女学生くん最強。凄いですよ。話を考え初めて、30分くらいでがーーっと書いてしまいましたよ。
ス、スランプ中なのに。探偵パワー、恐るべし!
まだ『邪魅の雫』読み途中なのですが、榎木津さんの名前を見たら急に書きたくなりました。(笑)
当時『萩の月』が発売されていたかどうか知りませんが、ここでは新発売のお菓子ということで。


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