黒と白
静寂が、広がっていた。
瞳を開けると夜の闇にも似た黒い世界。
そこには一寸の光も見いだせない。
幼い子供なら恐怖に泣き出し、大人でも身をすくませる暗闇だ。
それでも、一人立ちつくすハリーの心には少しの怯えもなかった。闇はハリーにとって幼い頃から慣れ親しんだごく身近なものだ。
毎日毎日ユニフォームのように同じ服を着せられ、壊れた眼鏡をかける惨めな自分を覆い隠してくれる。
そしてダーズリー一家のようにハリーを苛むこともない。
よるべのないハリーにとって、他人のいない暗闇は何よりも安らげる場所だ。
子供のときに明かりのない部屋に押し込められてハリーが感じたのも、ただ安堵だけだった。
しかし、どうしてこのような場所に自分がいるのかと思ったときに、ハリーはある人物を見付けた。
いや、人物というのは正しくないかもしれない。
黒い仮面を付け黒いコートで身を覆ったその人は、昔読んだ絵本に登場した悪魔を連想させた。
闇の中、浮かび上がるようにしてその者だけがはっきりと見える。「あの・・・・」
ハリーが声を掛けると、その者は顔を上げてハリーの方を見た。
仮面の中の緑の瞳が、ハリーをしげしげと見詰めている。
「あなたは、なかなか面白い人生を歩んでいるね」
ハリーの呼び掛けが聞こえているのかそうでないのか、その者は楽しげに呟く。
性別の全く分からない声だった。「何?」
思わず首を傾げたハリーに、その者は手にある本の中身をハリーに掲げてみせる。
そこには文字も絵もなく、ただ黒い色がある。
塗りつぶされたかのように黒一色の、見るからに禍々しい本。
「私は人の人生を本に例えてみることができる。そして、これはあなたの過去を表した本だよ、ハリー。見事に真っ黒だ」
その者の言葉に、ハリーは納得こそすれ驚きはしなかった。
物心ついてから、ダーズリー家で楽しかった記憶などない。
ただ、どうやって生き延びるかだけを毎日考えていた。
その自分の過去が、明るい色調で描かれるはずがないから。「そして、これはこれからのあなたの未来なんだけど・・・・」
もう一冊取り出したそれは、やはり黒だった。
「あんまり変わらないみたい。あなたの周りには闇が付きまとって一生離れることはない。さて、どうする?」
最後の問い掛けに、ハリーは訝しげにその者を見る。
「どういう意味?」
「あれを見て」その者がパチリと指を鳴らすと、遠方に淡い光が見えた。
闇に慣れた目には眩しい、一筋の光明。
「あそこには、あなたの望む、一番会いたい人達がいる」
その言葉に、ハリーは息を呑む。
ハリーが一番会いたい人。
そして、それがどうしても叶わない人。
誰を指しているか、すぐに分かる。
「あなたが私に魂を譲ってくれたら、すぐにも案内してあげるよ」甘い囁きに、ハリーの気持ちは揺れた。
今までの、絶望的な人生。
そして、これからの不安定な未来。
何もかも投げ出して、その人達の元へと行けたら、どんなにか幸せだろう。だけれど・・・。
「やめておく」
暫しの逡巡のあと、ハリーははっきりと言った。
「どうして?」
「たぶん、怒られちゃうと思うんだ。会えたとしても。何も知らないときなら、あなたに付いていったと思うけど」
一度言葉を切ると、ハリーはその者ににっこりと微笑んだ。
「それに、今の僕には大事な人がいるから、どんな未来でも頑張れるよ」
「・・・そう」その者の声は何故か震えていた。
仮面で表情は分からない。
だけれど、泣いているような声。怪訝に思ったハリーがよくよく見ると、緑のその瞳には見覚えがある気がした。
ごく自分の身近な人物のような。
不思議な暖かさを持つ、一対。
「では、早く戻りなさい」
最後に聞いた声は、確かに若い女性のものだった。
「ハリー!!」
体の方々が千切れるように痛み、ハリーは決死の思いで重い瞼を動かす。
涙を沢山ためた瞳でハリーの顔を覗き込んでいるのは、ハーマイオニーだ。
たぶん、先ほどの呼び掛けも彼女のもの。
ハリーの瞼が微かに動いたのを見て、思わず漏れた言葉だった。
「良かった・・・」
ぽろぽろと涙を流す彼女の手は、しっかりと包帯だらけのハリーの手を握っている。
「あんまり心配させるなよ」
ハーマイオニーの背後にいるロンも、涙に濡れた瞳でハリーを見詰めていた。「もう大丈夫ですよ」
マダム・ポンフリーの言葉に、医務室は安堵の空気に包まれる。
ハリーが生死の境を彷徨うほどの怪我を負ったのは、クィディッチの試合中の事故だ。
箒から堕ちたハリーは、医務室に運ばれたものの絶望的な状態だった。
息を吹き返したのは、本当に奇跡と言っていい。「私、本当にもう駄目かと・・・・」
ハーマイオニーの続く言葉は声にならかった。
ベッドサイドの椅子に座るハーマイオニーは、泣きやむ気配がまるでない。
それはロンにしても同じだ。
体は死ぬほどの痛みなのに、何故かハリーの心は幸せな気持ちでいっぱいだった。
「どうしてあんな意地悪したの」
黒い装束を取った彼女に、ハリーによく似た面立ちの眼鏡を掛けた男性が、優しく問い掛ける。
「・・・だって、過去の話は本当だもの」
振り向いた女性は涙と共に答える。
彼女はハリーの命を救って死んだ。
愛するわが子の、幸福を願って。だけれど、ハリーは少しも幸せではなかった。
11年間で、ハリーが本当に笑ったのを一度も見たことがない。
もしかしたら、自分がしたことは間違いだったのだろうか。
あのとき、一緒に死んだ方がハリーのためにも良かったのではないかと彼女は自問し続けてきた。「ハリーは、大丈夫だよ」
「・・・ええ」
肩を抱いて言う彼に、彼女もしっかりと頷く。
姿は見えなくても、彼らはいつでもハリーを見守っている。
優しい友人に囲まれ、ハリーは心からの笑顔を見せていた。
悲しい過去を、吹き飛ばすように。母親の手には、これからハリーの輝く未来が描かれるであろう白い本が握られていた。
あとがき??
これは、最初はNARUTOのカカシ先生の話だったんです。
ハリーに焼き直してみました。(笑)
そうしたら、思いがけなくハリーの両親が登場するし、大変なことに。
カカシ版もいつか書きますよ。ハリーがYESと答えても、もちろんお母さんは連れて行かなかったですよ。
ただ、ハリーに自分の意志でもとの世界に戻って欲しかったのです。
そして自分の行動が間違いでなかったと肯定して欲しかったのです。